ゲジブログ

健康、心理、音楽について

目的論とは 〈嫌われる勇気~自己啓発の源流「アドラーの教え」〉より

 

今回は自分自身の理解を深めるとともにまだ知らない方にも知って欲しい!ということで本のご紹介をしていきたいと思います。

それがこちら、

 

『嫌われる勇気~自己啓発の源流「アドラーの教え」』

 

 この本はとても読みやすくて、本一冊読み終えるのに大体一週間くらいかかる僕が二日で読み終えちゃった本です。まだ読書歴も浅く、速読なんかも覚えていない僕でものめり込むように読み進められた本でして、読み終えた後の自分にも良い影響を与えてくれた一冊なので、皆さんにもおすすめしたくて内容をまとめようと思います。本は一つの道具ですから、読んだ後の自分の行動や心理に影響を与えるのが良い本としての一つの基準だと思っています。

 

 なんですけども、この本はある青年が自身の悩みや疑問を投げかけ、それを受けた哲人がアドラー心理学に基づいて、ひも解くことで解決していく、という感じで、二人の対話によって話は進められていきます。会話形式になっているおかげで自分とも照らし合わせながら読んでいけるので頭に入ってきやすいです。今回はその中から目的論というものについて書いていきます。

 

      『嫌われる勇気』 

 

トラウマを否定せよ

 アドラー心理学とは、オーストラリア出身の精神科医ルフレッド・アドラーが20世紀初頭に提唱した個人心理学でその名をとってアドラー心理学と呼ばれるようになりますた。彼はフロイトユングと並ぶ三大巨頭の一人として有名でアドラー派というのもできていたのですが彼はこう言っています。「私の名前を誰も思い出さなくなるかもしれない」としかし彼はそれでもかまわないと、つまりは人々のコモセンス(共同感覚)になればいいのだと。アドラー心理学堅苦しい学問ではなく、人間理解の心理、また到達点として受け入れられているものなのです。ちょっと小難しそうな感じで書いてしまいましたが、、ここから本題に入っていきます。

 

 まずアドラー心理学の一つに「目的論」というものがあります。これは「過去の原因を考えるのではなく、今の目的を考える」、というものでこれによってアドラートラウマを強く否定しました。

 つまりこれは、

過去の原因(経験や失敗)によって、今の状態(鬱や行動しないこと)が決定されるのではなく、今の状態(鬱や行動しないこと)になる事の目的として過去(経験や失敗)が持ち出されるのだということです。

 

 また同じようにして怒りは捏造されるものであるとも言っています。喧嘩であったり、クレーマーだったりが怒りによって怒鳴ったとしてもそれは

「怒りに駆られて、大声を出した」のではなく、「大声を出すために、怒った」

といえるのだと。怒りは出し入れ可能な道具であり、この場合の目的とは大声を出すことによって相手を威圧する、自分の主張を押し通し支配するために怒りという感情を使っているのだと言える、いうことになります。  

 

 

 だからといって、じゃあどうすりゃいいの?とネガティブになる必要はありません。それは、

「人は変われることを前提に考えよ、変わることの第一歩は知る事にある。答えとは、だれかに教えてもらうのではなく、自らの手によって導きだしていくべきものである」

からです。他社から与えられた答えはしょせん対症療法に過ぎず、そこに価値はないのです。そしてそれがアドラー心理学の良いところであります。 なんか宗教っぽくなっちゃいましたが、、、おそらく言いたいことは伝わってるはずです。

 

 

 ではあなたはこのままでいいのでしょうか、幸か不幸かを決めるのは自分自身ですが、もしも幸せを実感できていないのであればこのままではいけないですよね。でもどうせ自分には無理なんだ、と諦める必要はないです。まずは一歩踏み出さなければいけません。アドラーは言います、

「大切なのは何が与えられているかではなく、与えられたものをどう使うか」

であると。これは僕も同じように思っています。自分は今も進行形で「どう使うか」を試行錯誤しているところです。

 

不断の決心

 人は常に変わらないという決心をしているのです。

 まずアドラー心理学において気質や性格のことを「ライフスタイル」と呼びます。これは簡単にいうと自分が見えている世界、自身をどう見ているかというものです。

 そしてそのライフスタイルは自分が決めているものなのだといいます。ですから人は「今のわたし」、であること、自分が不幸でいること、そのままで変わらない、ということを自分自身で決めている、ということになります。

ですがこれは裏を返せば

「再び自分で選びなおすことができる」ということになります。ライフスタイルには先天的に与えられたものは一切関係ないからです。

 最初にすべきことは「今のライフスタイルをやめる」ということです。「~したら」「~すれば」のたらればの可能性の中に生きているうちは、変わることはできないからです。目的論では

「これまでの人生に何があったとしても、今後の人生をどう生きるかについてなんの影響もない」のです。

 アドラー心理学は勇気の心理学です。現に僕も勇気をもらいました。だからこうしてブログをやっていたりします。まずはあなたが一歩踏み出す勇気をだして、これに限らず色々なことを知ることから始めてみてください。

 

では今回の内容をまとめます。

アドラー心理学には「目的論」というものがある。

・これによってトラウマは否定され、怒りは道具の一つだ     という認識を持つ 

・人は常に不断の決心をしている

・しかし「ライフスタイル」は自分で決めることができる

・大切なのは「与えられたものをどう使うか」である

 

                  

               

とこんな感じです。いかがだったでしょうか。気が向いたらアドラー心理学で別のことも書いていこうかなと思います。是非皆さんもまず一番最初は「知る勇気」を出すところから始めてみてください。では今回はこれで終わりです。それでは~

 

 

 

 

 

 

 

 

分断本能という思い込み (ファクトフルネスより紹介)

 

どうもゲジです。今日は緩く書いていこうと思います。

 

まずは最近の出来事から、、

 僕はボランティア部に所属しています。とはいっても形ばかりでほぼ活動には参加していないのですが… 

 最近珍しくイベント活動に参加しました。その中で映画を見る機会がありまして、、、うちのボランティア部は国際にテーマを置いているので映画の内容も難民だとか貧困だとか人種差別だとか、になってくるんですが。

 

少し話が逸れますが、今読んでいる最中の本の中に『ファクトフルネス』という本がありまして、皆さんご存じでしょうか。勘違いされた今現在の世界の状況について様々なデータやグラフから間違ったまま認識してしまっている僕らの感覚を正そう、という感じの本なんですが、見ていた映画の内容に関係してくるわけです。まあ正直映画自体の面白さでいえば、僕は途中で飽きてしまったくらいなので何とも言えないですが。

 見ている中でやっぱりちょっと過剰に思えるような表現だったり、そもそもそれって…と思ってしまうようなシーンがちょいちょいある感じで、周りを見渡してみても、同じように映画を見ている人の中でこの中の何人が世界に対して正しい知識を持てているのか…と思ってしまったんですよね。かくいう僕も偉そうに言えるような人間ではないんですが、、ファクトフルネスもまだ読んでる途中ですし……映画を見る前に読み終えれていたらまた感じ方も少しは変わっていたんだろうなぁと思ったりもしていましたし…

 あらかじめ知識を持っておく、というのはどこにいても大事なものですね。思い込みをなくす唯一の方法は勉強し続けることだ、と師匠も言っていたのを思い出しました。もちろんその知識は新しくて信頼性のあるものをね。

 

まだ無駄話は続きます。その帰りに同じ大学に進学してきているいとこ君に偶然会いまして、そのまま僕の家で飲むことになったんですが。真面目な、彼はこの秋の時期に入っているにも関わらずまだまともに酒を飲んだ記憶がない、、ということで自分自身がどれくらいのアルコール量で酔うのか試してみたら?ということで飲ませました。まあアルコールの経験というのがこれからの時代必要かどうかはわかりませんがね、、してどうやら彼はおそらくちょっとは強いくらいな感じだろうというのが結果としてわかりました。

((で、ここまで無駄話なんですが一応無意味なことを言いたかったわけではないんですよ。めっちゃ無理やりかもしれませんが映画の話もお酒の話もどちらも知識や経験を持った人から成長していくよな、という当たり前かもしれませんが、共通点があると僕は思いました。決して深イイ話をしようとは思ってなくて、素直にそう思いました。むしろ薄っぺらくてなんか変に恥ずかしくなってきました。

 何に対しても行動を起こさないとわからないことだらけですよね。まだ未熟な僕でもそれくらいはわかります。なかなか僕自身もまだできているとは言い切れませんがこれを読んだ人にも少しくらい伝わって影響を与えられればいいなーと思ってます。というかここまで読まれてたらいいなぁ

 

でですね今日は『ファクトフルネス』の中から「分断本能」というのを紹介して終わりにします。緩く書くつもりがここまでの話が長い前置きみたくなっちゃったので最後に知識を紹介しようと思います。

 

       「分断本能」

 著者であるハンス・ロスリングさんは講師として教える授業のなかで学生たちに質問をします。各国の乳幼児死亡率はどれくらいであるかと。か弱い乳幼児が命を落とす条件がたくさんあり、また裏を返せば生存する確率でもある乳幼児死亡率は世界の現状をはかる上で大きな指標となるわけです。学生たちはその質問に対して数値を答えていくわけなんですが、その中で事実として浮かび上がるものがあります。それがどの国もそれぞれの度合いによってだが、死亡率は下がっていて、これまで乳幼児死亡率が上がった国はなく世界は基本的には良くなっている、ということです。

 

 ここで「先進国」「途上国」「金持ちグループ」「貧乏グループ」のように私たちには何か全体を把握するときにそれを二つに分けようとする本能があります。それが「分断本能」です。 

――――― あれですよね、「きのこの山」と「たけのこの里」どっちがいいか論争もそうですよね(笑)あれって、どっちの種類も食べる人もいれば、そもそも食べない、という人もいたりするのに、ツイッターなんかでは「いいね」と「リツイート」を利用して二択のみで話が進んでいますよね。まああれはそういう風に楽しむものだし、その二択以外の人だって大勢いるのは誰でも承知の助なんですが。(笑)

 ただ、その分断本能による勘違いが世界レベルで起きている、ということなので、これはまずい、となるわけです。

 

ではどんな勘違いを起こしてるの?というところなんですが

 女性あたりの子供の数と乳幼児生存率を表したチャートが出てきます。実際に本を買って自分の目でグラフを見てみると歴然なんですが、1965年に先進国と途上国で枠組みしたものが2017年になるとほとんどの国が先進国の枠の方に入ってきてるんです。第一章では他にも世界の所得レベルと生活水準についてだったりが書かれているんですが、おそらく大抵の人は、裸足で泥水を飲んでいるような苦しい生活をしている人が世界の大多数なんだ、というイメージを持ってしまっていると思います。が実は思ったよりもそういう人たちが全体を占めているわけではないよねっていうのが分断本能のお話です。いやもちろんそういう苦しい生活をしている人たちは少なくないのですが、、、世界全体でみると生活水準はグッと上がってきている、というような感じです。自分が日本で生まれ育っているのはありがたい話ですね。

 

ではこの分断本能を抑えるにはどうすればいいのか?なんですが、ポイントは以下3つ

 

 ・平均の比較

・極端な数字の比較

・上からの景色

 

 ではこの三つを僕なりにまとめます。

 

 平均の比較

 データを比較して全体像を把握したいとき便利なのが「平均」です。ですがこれはバラバラになった数値の分布をすべて平らにならしてしまって、本来持っていた特徴を隠してしまうという面も同時に持っているということになります。要するに、Aの平均がBの平均を上回っていたという結果が出たとして、必ずしもそれは、BすべてがAに劣っていたとは限らないわけで、Bの中にもAの数値を上回った数値があるかもしれない、と考えることができるかどうか、が重要になってくるということです。

 

 極端な数字の比較

 データを比較するうえでもう一つ重要なのが大抵の場合は大半は中間層にいるということを意識することです。例えば日常流れてくるニュースの大半はオーバーな表現がされていて、極端に悪いまたは良いイメージになりがちですが、本当はそのどちらでもない人達が大多数を占めている、ということが多いのです。

 

  上からの景色

 最後に重要なのが、そういってデータや情報に触れるとき、自分はどの立場からそれを見ているのかという意識を持つことです。僕は日本という恵まれた国に暮らしているわけですが、貧しい国に暮らす人たちを考えたとき、そのイメージはどれも同じようなものだと思ってしまっていました。実際には生活レベルの違いがあってそれぞれの人が抱える課題も違ってくるはずなのにです。要するに上からの景色というのは高いビルから見下ろす低いビルたちはどれも同じ高さに見えてしまう、ということで自分はいまどこに立っていてどんな情報を見ようとしているのかを認識しなければ正しく物事をとらえることはできないということです。

 

 以上の三つを念頭におくことでこの「分断本能」を抑えることができるよ、といった感じです。いかがだったでしょうか。これってこの本では世界の状況に関することでしたが、それ以外にも使うことができる考え方なんじゃないかと僕は思います。またこのほかにもいろいろと人間の持つ本能によって引き起こされる間違いというのが紹介されています。気になった方は是非「ファクトフルネス」を買って自分で読んでみてください。きっと新しい発見があると思います。  ではこんな感じで今回は「分断本能」というものについての知識紹介とちょっとした日記みたいな感じで終わりにしたいと思います。ではでは